2017年03月11日
震災から6年…
投稿者【くま】
東日本大震災から今日で6年ですね。
こういう節目節目には、
震災当時のことをよく思い出します。
振り返ってみると、
当時の自分は突然の出来事に何もできず、
自宅でライフラインが復旧するのを待つことしかできませんでした。
地震発生時、
福島市在住の自分は
精密部品製造の工場の5階フロアにいて、
激しい揺れとともに高価な機材が大きな音を立てて
次々と床に倒れこんでいったのを覚えています。
自分は停電で薄暗くなった工場内の通路を通って外へ出ましたが、
帰宅指示が出るまでの間、
雪空の下、薄手の服装でしばらく凍えながら
待機させられていました。
約1時間後に会社から帰宅指示がありましたが、
渋滞とガス欠寸前のため、
結局は自宅に帰ることができず、
自分は車の中で一晩過ごしました。
車の中でラジオを聴いていると、
色々な情報が入ってきました。
津波、原発、火災、土砂崩れ…
とても不安な夜でした。
夜が明けると渋滞が少し緩和されており、
なんとかガス欠せずに自宅に戻ることができました。
家は一見すると無事そうに見えました。
(が、後日診断によると建物内部の構造体は【半壊】扱いでした。)
幸いにも自分の家族や親戚は無事だったので
ここでやっと一安心できました。
震災から約2週間は
食料や水の調達をしたり、
給油のためGSに並んだり、
皆さんと同じようなことをしていたと思います。
食料の買い出しにお店に行った時、
一個だけ残った完全に容器が潰れた
カップヌードルを手に取ろうとしたら
ものすごい速さで横からおばちゃんが
強奪していったのは強烈でしたね。
震災から1年ぐらい経ってから
津波の被害が大きかった
宮城県の閖上漁港に一度行ってみました。
あのどんよりとした空気、
どこからか聞こえてくるお経、
ガレキの山になってしまった凄まじい光景は忘れられませんね。
あれから復興整備も進み、
少しずつ笑顔も戻ってきたようには感じます。
自分なんかよりも震災で
もっと大変な状況にあった方はたくさんいます。
きっとそのような方達が
心から笑顔になれる日が来た時こそが
本当の復興なのでしょうね。
そんな日が早く来ることを願っています。
東日本大震災から今日で6年ですね。
こういう節目節目には、
震災当時のことをよく思い出します。
振り返ってみると、
当時の自分は突然の出来事に何もできず、
自宅でライフラインが復旧するのを待つことしかできませんでした。
地震発生時、
福島市在住の自分は
精密部品製造の工場の5階フロアにいて、
激しい揺れとともに高価な機材が大きな音を立てて
次々と床に倒れこんでいったのを覚えています。
自分は停電で薄暗くなった工場内の通路を通って外へ出ましたが、
帰宅指示が出るまでの間、
雪空の下、薄手の服装でしばらく凍えながら
待機させられていました。
約1時間後に会社から帰宅指示がありましたが、
渋滞とガス欠寸前のため、
結局は自宅に帰ることができず、
自分は車の中で一晩過ごしました。
車の中でラジオを聴いていると、
色々な情報が入ってきました。
津波、原発、火災、土砂崩れ…
とても不安な夜でした。
夜が明けると渋滞が少し緩和されており、
なんとかガス欠せずに自宅に戻ることができました。
家は一見すると無事そうに見えました。
(が、後日診断によると建物内部の構造体は【半壊】扱いでした。)
幸いにも自分の家族や親戚は無事だったので
ここでやっと一安心できました。
震災から約2週間は
食料や水の調達をしたり、
給油のためGSに並んだり、
皆さんと同じようなことをしていたと思います。
食料の買い出しにお店に行った時、
一個だけ残った完全に容器が潰れた
カップヌードルを手に取ろうとしたら
ものすごい速さで横からおばちゃんが
強奪していったのは強烈でしたね。
震災から1年ぐらい経ってから
津波の被害が大きかった
宮城県の閖上漁港に一度行ってみました。
あのどんよりとした空気、
どこからか聞こえてくるお経、
ガレキの山になってしまった凄まじい光景は忘れられませんね。
あれから復興整備も進み、
少しずつ笑顔も戻ってきたようには感じます。
自分なんかよりも震災で
もっと大変な状況にあった方はたくさんいます。
きっとそのような方達が
心から笑顔になれる日が来た時こそが
本当の復興なのでしょうね。
そんな日が早く来ることを願っています。
Posted by 七武海メンバー at 00:00│Comments(0)
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